余韻を失くした世界で
2013年3月5日 日常今日はマイバースデイだ。34歳になった。
今日届いたものは、実家からお祝いの商品券とお菓子、
そして就職活動のうちひとつの不採用通知。
夕方、ケーキを買いに行こうとしたら、
道端にけがをして、鼻から血を流して座りこんでるおじいさん。
その方をママ友が介抱していた。ので、一緒に待って、あれこれと
警察やら救急車やらやってきてちょっとした騒ぎになった。
結局おじいさんは家族に連れられて無事に帰宅した。
そうこうしているうちに、ケーキはもうロールケーキしか残っておらず。
でも美味しいからいいのだ。
タイトルのようなことを考える。
余韻を失くした。というのは、極めて個人的な感覚なのですが、最近特に思うことなのです。
故郷とか、学生時代とか。色々なものを通り過ぎて、
それを切り離して、淡々と日々は過ぎていくけれど、
今頃どうしてると思ったら、手の届くところにそれはあって
案外怖いくらいすぐに届いていたりして。
でも結局のところ、戻れやしない。
今が一番大事だと落ち着き。
そのバランスをとりながら、生きているのだと思う。
結婚して、子育てをしていて、先はどうなるのかまだ決められないけれど
それもありなのだ、
こうするべき、こうあるべき、という人生なんてないのだ。
なぜなら、自分の人生はたった一つしかないから。
孤独も、賑やかなのも、どちらも必要で、必然である。
苦手な人も、好きな人も、良い人ぶった自分に気付きを与えてくれる。
世界の作用の一つとして存在していくかのように。
今日届いたものは、実家からお祝いの商品券とお菓子、
そして就職活動のうちひとつの不採用通知。
夕方、ケーキを買いに行こうとしたら、
道端にけがをして、鼻から血を流して座りこんでるおじいさん。
その方をママ友が介抱していた。ので、一緒に待って、あれこれと
警察やら救急車やらやってきてちょっとした騒ぎになった。
結局おじいさんは家族に連れられて無事に帰宅した。
そうこうしているうちに、ケーキはもうロールケーキしか残っておらず。
でも美味しいからいいのだ。
タイトルのようなことを考える。
余韻を失くした。というのは、極めて個人的な感覚なのですが、最近特に思うことなのです。
故郷とか、学生時代とか。色々なものを通り過ぎて、
それを切り離して、淡々と日々は過ぎていくけれど、
今頃どうしてると思ったら、手の届くところにそれはあって
案外怖いくらいすぐに届いていたりして。
でも結局のところ、戻れやしない。
今が一番大事だと落ち着き。
そのバランスをとりながら、生きているのだと思う。
結婚して、子育てをしていて、先はどうなるのかまだ決められないけれど
それもありなのだ、
こうするべき、こうあるべき、という人生なんてないのだ。
なぜなら、自分の人生はたった一つしかないから。
孤独も、賑やかなのも、どちらも必要で、必然である。
苦手な人も、好きな人も、良い人ぶった自分に気付きを与えてくれる。
世界の作用の一つとして存在していくかのように。
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