聴くこと

2011年12月14日 日常
今日の寝かしつけ音楽はモーツアルトだった。

音楽は、曲の出来や弾き手の技術、表現力がまず評価される。

けれど、聴いている自分自身の感受性を疑ってかかることも

大事ではないかと思う。

音楽だけじゃなく、言葉や会話、表現すべてに然り、だ。


受けてとしての自分のココロが鈍っているときは、
どんな名曲や名演奏も、響いてこない。


どんなに有難いお言葉や、美しい詩も、
受け入れて咀嚼することができないならば何の意味も持たない。

ネット検索で簡単に手に入る
だれかのそれっぽい
名言をただやみくもにアクセサリーみたいに
振りかざせば、
共感は得られはせよ
だんだん
共感を得ること自体が目的となり
本当に感動しているのか?と謎がのこる。

年齢を重ねて、いろいろな経験をして、私の感受性はどこか歪んでしまっているのではないだろうか。
それが普通のことだとしても、普通になってしまっていいのか。

「自分の感受性くらい 自分で守れ」

という詩のように。
自分の感受性を守っている大人は、どのくらいいるのだろう?

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