強風、年をとった日
2007年3月5日今日は誕生日だ。
いつものマメキックで目が覚めたら、家族や友人からお祝いメールが来ていた。多分忘れられているだろうと思っていたので、嬉しかった。
気持ちとは裏腹に、この町では朝から、まっすぐ歩けないくらいの強風が吹き荒れた。
車から降りたとたんあまりの風圧に目が開けられず、
よろけながら部屋に向かっていたら
マンションの管理人さんが飛ばされたタオルを拾うのに苦労して
いるところに丁度出くわし、おたがい苦笑いだった。
思うに、そろそろ誕生日だからといって手放しで
喜べない年齢になってきた。
だがしかし、昨日の夜ぼんやり考えていたのは
もしも人間に寿命がなかったら、きっと私達は生きていることに幸せを感じることは
なかったであろう、ということ。
新しい命を授かる喜びも、誰かに感謝するという感情も、もしも
私達がずっと今のままであるならば感じることもなかっただろうということ。
そしてもうひとつ、誕生日は盆正月のように当たり前のようにある日と今まではなんとなく思っていたが
実は母親が命がけで自分をこの世に生んでくれた日なのだ。
今頃になってそう思うようになったのは、きっとマメのせいだ。
本当に誕生日ってありがたい日だったんだなぁと感じる。
これからの一年は、またしても色々なことがあると思う。
想像しても始まらないが、
「なるべく大きな幸せと、なるべく小さな不幸せ
なるべくいっぱい集めよう」
・・・という某歌詞のように生きていけたらいいなと思う。
いつものマメキックで目が覚めたら、家族や友人からお祝いメールが来ていた。多分忘れられているだろうと思っていたので、嬉しかった。
気持ちとは裏腹に、この町では朝から、まっすぐ歩けないくらいの強風が吹き荒れた。
車から降りたとたんあまりの風圧に目が開けられず、
よろけながら部屋に向かっていたら
マンションの管理人さんが飛ばされたタオルを拾うのに苦労して
いるところに丁度出くわし、おたがい苦笑いだった。
思うに、そろそろ誕生日だからといって手放しで
喜べない年齢になってきた。
だがしかし、昨日の夜ぼんやり考えていたのは
もしも人間に寿命がなかったら、きっと私達は生きていることに幸せを感じることは
なかったであろう、ということ。
新しい命を授かる喜びも、誰かに感謝するという感情も、もしも
私達がずっと今のままであるならば感じることもなかっただろうということ。
そしてもうひとつ、誕生日は盆正月のように当たり前のようにある日と今まではなんとなく思っていたが
実は母親が命がけで自分をこの世に生んでくれた日なのだ。
今頃になってそう思うようになったのは、きっとマメのせいだ。
本当に誕生日ってありがたい日だったんだなぁと感じる。
これからの一年は、またしても色々なことがあると思う。
想像しても始まらないが、
「なるべく大きな幸せと、なるべく小さな不幸せ
なるべくいっぱい集めよう」
・・・という某歌詞のように生きていけたらいいなと思う。
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