「おじいさんの思い出」
2003年9月30日今日は、
数年前に亡くなった祖父が書いた文章を
偶然発見した。
一般的なハードカバー並みの分厚さで、
A4サイズの大学ノートの縮小コピー
(原本は本家にあるという)
に、びっしりと細かい文字が書かれていた。
表紙には、「俺の記録」というタイトル
と、フルネームが書かれていた。
肝心の中身であるが、
タイトル通り祖父の半生を
綴ったものである・・・が、
文字が小さい上に
達筆過ぎて(?)、特徴的な固有名詞や
形容詞を除いては、殆どといっていいほど
読めなかった。
祖父も悩んだり、笑ったりしていたんだなぁって
当たり前なんだけど、驚いてしまった。
私がに中学に通っているちょうどその時、祖父が
最後の文章を
病床でこつこつと書いていたんだなと思うと
何とも不思議な気がする。
現実的に
私は祖父のことを殆ど知らない。
一緒に住んだことも、旅行に行ったことも
肩をたたいてあげたことすら無い。
ただ一度、保育園の頃に運動会を
はるばる観にきてくれたことだけは
よく記憶している。
そのときは、緊張しながらくすぐったいような
ちょっぴり
嬉しいような気持ちでおにぎりを食べた。
それだけ・・・。
今でも、おじいさんというものに対して
どう接したらいいのか分からない時がある。
おじいさんというより、お年寄りに対して。
好き嫌いというより、慣れていないのだろうか。
「おじいちゃん子」「おばあちゃん子」
という気持ちをちょっと味わってみたかった
なぁと思う。
まるちゃんと友蔵さんほど仲良くなくてもいいから(?)。
これから頑張って、少しずつノートを解読してみようと思う。
祖父の存在が、近くなったような気がして
純粋に嬉しい出来事でした。
まさか祖父も、こういう形で
自分のことを書かれるとは思ってなかった
だろうな?
BGM:Summer(久石譲)
数年前に亡くなった祖父が書いた文章を
偶然発見した。
一般的なハードカバー並みの分厚さで、
A4サイズの大学ノートの縮小コピー
(原本は本家にあるという)
に、びっしりと細かい文字が書かれていた。
表紙には、「俺の記録」というタイトル
と、フルネームが書かれていた。
肝心の中身であるが、
タイトル通り祖父の半生を
綴ったものである・・・が、
文字が小さい上に
達筆過ぎて(?)、特徴的な固有名詞や
形容詞を除いては、殆どといっていいほど
読めなかった。
祖父も悩んだり、笑ったりしていたんだなぁって
当たり前なんだけど、驚いてしまった。
私がに中学に通っているちょうどその時、祖父が
最後の文章を
病床でこつこつと書いていたんだなと思うと
何とも不思議な気がする。
現実的に
私は祖父のことを殆ど知らない。
一緒に住んだことも、旅行に行ったことも
肩をたたいてあげたことすら無い。
ただ一度、保育園の頃に運動会を
はるばる観にきてくれたことだけは
よく記憶している。
そのときは、緊張しながらくすぐったいような
ちょっぴり
嬉しいような気持ちでおにぎりを食べた。
それだけ・・・。
今でも、おじいさんというものに対して
どう接したらいいのか分からない時がある。
おじいさんというより、お年寄りに対して。
好き嫌いというより、慣れていないのだろうか。
「おじいちゃん子」「おばあちゃん子」
という気持ちをちょっと味わってみたかった
なぁと思う。
まるちゃんと友蔵さんほど仲良くなくてもいいから(?)。
これから頑張って、少しずつノートを解読してみようと思う。
祖父の存在が、近くなったような気がして
純粋に嬉しい出来事でした。
まさか祖父も、こういう形で
自分のことを書かれるとは思ってなかった
だろうな?
BGM:Summer(久石譲)
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